約 555,885 件
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/67.html
最小対語:hatとcatのように、1音違えば別の単語になってしまうペアのこと。 最小対語については常に聞き間違えの可能性があるわけですが、その可能性は音によって異なります。 pal と bal は聞き違いやすいですが、pal と nal は相対的に聞き間違えづらいです。 p と n は調音点と調音法が違うからですね。 母音についても口の高低と前奥が近い母音同士は音波が似ているので間違えやすいです。 最小対語を気にする場合、特に聞き違えやすいものを注意するといいと思います。 理論上ありえる最小対語を全て検索して互いに意味が似ないように注意すると、膨大な時間がかかります。 そこで、その言語で聞き違えやすい音だけを焦点化します。 聞き違いやすい音といっても、学習者の母語によって変わります。 作成段階で日本語に合わせてしまうとオリジナリティが失われるので、その言語の音韻論を予め決め、その言語の話者を想定します。 そしてその架空の話者が間違えやすい音をその言語の音韻論と照らし合わせて決めます。そうすればその言語での聞き間違えやすい音を決定できます。 音韻論を作るということは音節構造も出来上がっているわけです。 したがって、その言語が子音重視か母音重視かということも分かります。 いいかえると、高周波の子音に耳を向ける言語か、低周波の母音に耳を向けるかという違いが分かります。 もし母音率が高く、しかも母音の種類が少なく、子音連続が少ない言語の場合、聞き間違いは主に子音に起こりやすくなります。 したがって、最小対語で気をつけるのは子音が関わるものに限定され、作業が楽になります。 まとめると、まず意識しなければいけない最小対語を篩うための理論を作りましょう。 それは音韻論的なもので、音節構造や母音率や子音連続などが絡みます。 そしてオリジナルの理論が出来上がれば、それに即して意識すべき最小対語を篩います。 篩った結果の中に文脈的にも似通った語が出てくれば、それは変えましょう。 こうすれば少ないの労力で最小対語による誤解や問題を回避することができます。 なお、聞き間違いは「ソノリティ」(音の聞き取りやすさの度合い・可聴度)とも関与します。 ちなみに、ソノリティとは「聞こえ」のことをいい、人間の音声では母音のほうが子音より高いです。 したがって、一般的なことを言えば pal, bal より pal, pil のほうが間違えられにくいです。
https://w.atwiki.jp/rssmn/pages/34.html
水属性のフグの召喚獣。ただの魚ではない。 三段階の乳首の存在感が気になって気になってしょうがない。 サマナーの花形スキルのアクアバンブーにエクスパンションと支援スキルを持つ。 ステータスは防御が高め・攻撃力が低めである。 エクスパンションONで防御は一番高くなる。 基本攻撃スキルはフロストバイト
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/34.html
学問としての人工言語を論じています。非情に専門性の高い表現が出てきます。語調は論文体で統一しています。 人工言語の定義 人工言語と言語学 人工言語の類義語 人為性による人工言語の分類 先験と後験による分類 目的による分類 比較言語学的分類 類型的分類 黎明期(1) 黎明期(2) 黎明期(3) 普遍言語へ至る背景 普遍言語 架空言語・空想言語 普遍言語の成果 国際語・国際補助語 グローバル社会の人工言語 音韻論・音声 形態論・統語論 意味論 文字論 文化論 .
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/45.html
人工言語は言語の一種であるから音韻・文法・語彙・文字・非言語を持っている。ただ自然言語に文字を欠くものがあるように、これらの要素が全て揃っているとは限らない。これらの要素を全て持っていれば申し分ないが、実際には一部を欠くことがある。 現在使われている自然言語のうち「音韻はないが文法はある」などといったものは考えられないが、人工言語の場合どの要素が欠けてもよい。たとえば話すことを一切考慮せず、文字と語彙と文法しか決めない言語も考えられる。このような言語は決して絵空事ではない。文字と語彙と文法だけを決め、単語に音価を当てない。音価がなければ音韻を定める必要もない。では読むときはどう読めばいいのか。読み手のそれぞれの母語で読めばよい。この手の人工言語は4世紀も前から存在していた。そしてそれは必ず表意文字か語意を表す数字を持っていた。音韻がない以上、表音文字にはできないからである。 自然言語と異なり、人工言語は一見無作為に要素を欠いているように見える。だが実際そうとは限らない。人工言語がどの要素を欠くかを観察していけば、なぜ欠けるのかという理由が見えてくる。更にそれを逆用すると人工言語はどのように発展して現在の形に落ち着いたのかを見ることができる。上の5要素を全て持っている申し分ない人工言語に至るまでにどのような欠損を持った人工言語の雛が存在していたか。また原初的な人工言語とはどのようなものであったか。 まず最も原初的な人工言語とは何であろうか。それは意外にも現存するような欠損のない人工言語に極めて近い後験的なものである。最初の人工言語は暗号である。本論ではまとめて暗号型と呼んでいるが、他所では暗号言語や秘密言語などとも呼ばれている。 暗号としての人工言語は古代エジプトやローマにも見つけることができる。最古の暗号は古代エジプトの石碑に刻まれたヒエログリフとされており、これは紀元前1900年ほど前のことである。この暗号を人工言語に含めると、人工言語の起源は少なくとも約4000年ほど前まで遡ることができる。一方、人類最初の文字はメソポタミア地方チグリス=ユーフラテス下流のもので、これは5000年ほど前に遡る。意外にも暗号としての人工文字は早くから存在していたことになる。 人工言語はその産声を上げたときから長い間もっぱら暗号として機能していた。およそこの頃は「人工言語=暗号」であったといっても差し支えない。暗号としての人工言語は資料が残されているわけだから少なくとも文字を持っていた。同時にその文字自体が語彙を形成するので語彙も持っていた。古代人がそれを口で読んでいたかどうかは分からないが、もし読んでいたなら音韻も備えていたことになる。 ヒエログリフにおいて最も意識されることはそれが文字であるという事実である。原初の人工言語が暗号と同義であるならば、文字が人工言語の黎明に大きく関与していることになる。そして実際他の例を見ていくと、人工言語において文字がいかに重要な役割を持っていたのかを知ることができる。自然言語において文字を持たない言語が多く存在するため、文字は言語にとって必要条件ではないという低い地位に押しやられている。しかし人工言語では文字が大きな役割を持ち、時には国家まで揺れ動かしてきた。 たとえば15世紀に李氏朝鮮第四代国王世宗(セジョン)が作った朝鮮文字ハングルは人工文字であり、現在朝鮮半島で実用されている。だがこの人工文字が実用されるまでには相当な歴史的背景があった。 文字を話題にするのなら更に時代を遡ることができる。紀元前221年には秦の始皇帝が中国を統一し、度量衡とともに漢字を矢継ぎ早に統一した。統一から外れた文字は排斥された。ただしハングルと違ってこれは既存の文字をまとめたという性質が色濃いため、人工文字ひいては人工言語の範疇に入れるのは難しい。しかし国家の手によって人為的に文字が操作された歴史としては取り上げるべきことである。 ハングルにせよ始皇帝の漢字統一業にせよ、古代エジプトやローマの例とは異なり、暗号でないことが注目に値する。朝鮮では百姓が、中国では人民が使うために作られたものであるという点で暗号とは一線を引く。 古い人工言語における文字の役割は大きく、特には政治的背景と相まって形成されてきた。尚、このことは音韻や文法を制定するよりも文字を制定するほうが簡単だということにも繋がる。ハングルは確かに人工文字だが、それは朝鮮語を表すためのものでしかない。世宗は朝鮮語の音韻や文法まで作ろうとはしなかった。朝鮮語そのものを変えることは彼の目的には適わなかったし、何よりやろうとしても当時は技術が足りなかった。音韻、更には音声を百姓の間に制定しようとするのは政治的以前に印刷技術や録音技術の乏しい時代では極めて難しいからである。文法を制定するのは音に比べれば容易であるが、それよりも文字のほうが人の手を加えるのに適した素材だった。 できるできないの話を別としても、音韻や文法に比べて文字のほうが手を加える必要性があった。暗号として使われる文字は字形を変えたほうが見破られにくいので手を加える必要性が大きい。また暗号を欲しがらなかった朝鮮にも文字に手を加える必要性があった。ハングルが作られたのはたとえば漢字の読めない民衆が不当な扱いを受けた際に裁判を申し立てられないなどといった窮状を鑑みた結果である。その他にも作られた理由はいくつもあるが、いずれにせよ朝鮮が欲したのは暗号ではなく理解しやすい実用的な文字であった。そしてそれを得るためには漢字というシステムから脱却する必要があった。尚、このような大きな政治的な動きがスムーズに運ぶことは稀で、実際当時はこの改革に対する反論があった。 1442年、世宗配下の漢学者崔萬理がこのような反意を上奏した。 「民百姓が犯罪の容疑をうけたとき、かれらが自分の無罪を主張できないという理由で誣告をうけるという王のおことばは、納得できません。」金(1984) ハングルの歴史はこの後、更なる憂き目を見ていくこととなる。いずれにせよこのように古い人工言語にとって人工文字或いは人為的に選ばれた文字が持つ役割は大きく、しばしばそこには政治的・経済的・社会的な背景が関与していた。趣味で作る演出型などと違い、のっぴきならない理由がそこにはあった。 東洋は歴史的に見れば概ね中国が中心に位置していた。文明は中国(或いはインド)から主に伝播されるものであった。この結果、中国の国字である漢字と東洋(特に東アジア)の人工文字は大きな関わりを持った。 漢字とは似ても似つかない字形のハングルであるが、これでも水面下では漢字との大きな関与があった。そもそもハングルができたのは国字を持つという朝鮮民族のアイデンティティの問題や上述のような民衆の社会的問題に対処するためである。そしてそれに対する反論も主に当時の宗主国である中国の怒りを恐れたことに起因する。したがって中国及びその国字である漢字と独立してハングルを語ることはできない。つまり人工言語において文字は強い社会的背景を持ち、その背景と切り離せない関係にあるということである。但しエスペラント以降の文字はこのかぎりではない。 文字の持つ背景は社会的なものだけではない。宗教などの文化或いは民族意識を背景とすることもある。そのような論争はかつて日本にもあった。日本はハングルのような国字を新たに作るようなことはなく仮名文字で和語を表していたが、その日本にも文字論争があった。神代文字である。 神代文字は日本古来の漢字に依存しない固有の文字とされ、室町時代には少なくとも神道の間で広まっていた。この是非について国学者の本居宣長らが反論をした。神代文字を巡っての議論は平行線を辿った。結果、この議論は時代を下って持ち越された。明治になると神道が主唱する神代文字は偽造であると国語学者の山田孝雄(よしお)は述べた。 神代文字は現代では一般に言語学の対象よりもむしろ哲学思想の対象としてみなされがちである。この論争の重要な点は、日本は古来から漢字ではない固有の文字を持っていたという主張にある。神代文字自体が重要なのではない。固有の文字を持つことが中国の精神的支配からの脱却であり、日本民族のアイデンティティの確保でもあり、何より神道の思想に沿った。そのことが重要である。この神代文字のように宗教や思想を背景とした文字が確認できる。 また神代文字にはハングルも似たものがある。阿比留(あひる)文字という。ハングルを真似て作ったのではないかと言われているが、逆にハングルがこれを真似て作られたと主張する者もいる。神代文字は近代現代においてもはや神道よりも日韓の国家関係や民族意識を反映している。 神代文字が人工文字だとしたら、人工言語における文字は文化・宗教・哲学思想のみならず、民族意識や果ては国家関係までを背景とするといえる。以上から、人工言語において文字がいかに重要な役割を持っていたかが分かった。人工言語における文字は決して暗号を伝えるためだけの機能物質ではなく、その後ろにある様々な背景を暗示するものである。 金両基(1984)『ハングルの世界』中公新書111pp.
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/51.html
ところで16, 7世紀の普遍言語論争時代には様々な普及型言語が作られたが、実際それは役を果たしたのだろうか。比較的成功したのはウィルキンズであろう。彼は存命中からそれなりの大きさのコミュニティを形成していたし、ダルガーノらに比べてより精巧な分類表を作るに至っている。更に自身の死後もその仕事が継承されている。分類や分析を素地とした哲学的言語として隆盛を極めたのはウィルキンズであろう。 しかしそのウィルキンズの文字でさえ書きにくい、読みづらい、覚えづらい、間違えやすいなどの批判が相次いぎ、共通語として日の目を見ることはなかった。 こういう大きな目論見が敗れた結果、悲観的になった社会の関心は薄れていった。更に17世紀の終わりごろはフランス語が西洋に普及したため、個々の土着語による混乱をなくすという目標が減じてしまった。それゆえ共通語に対する意識自体が薄まっていた。ウィルキンズのような大業にもかかわらず普遍言語が実用されなかったこと、そしてフランス語の共通語化の波に押され、徐々に普遍言語としての人工言語は熱が冷めつつあった。そのため18世紀は前世紀と比べると普遍言語は下火で、事実上普遍言語論争はほぼ幕を閉じていた。あとは散発的な炎が灯っては消えただけである。 18世紀中葉のデュードネ=ティエボーは普遍言語がいかに有益かを説き、 300ほどの根―語を選ぶことで己の言語の語彙の分類表が作れると述べた。しかしこれは単なる17世紀の焼き増しに過ぎない。 17世紀の焼き増しはこのころ非常に多く行われた。ドロルメルは分類に基づく哲学的言語を作ったがこれはウィルキンズのような分類方式にライプニッツのような計算方式を組み合わせたに過ぎない。だがこのようなかけあわせを用いたところは面白い。また、ウィルキンズの難しい普遍文字の代わりにアルファベットを使った点も興味深い。単にアルファベットを採用しているのではなく、発音に使わない文字は捨象した。こういったことはヒルデガルトのころから行われていたことであるが。掛け合わせや改良アルファベットという点を見れば、単なる焼き増しというよりは過去の言語の改良版といえるだろう。 18世紀も終わりに近付くと哲学的言語への挫折を社会は認知していたため、作者の断念も相次ぐ。コンドルセはライプニッツの手法を参照していたが、未完のまま挫折した。こういった中でド=メミィユの成功は異例の事態であった。 18世紀の終わりに『パシグラフィー』と名を変えた要するに普遍文字計画が出版されると、これは一躍時代の寵児になった。それはやはりウィルキンズのような複雑な文字であった。基本的に12文字しかないのだが、その組み合わせのせいで複雑になる。また、西洋で既に定着していた句読法はそのまま採用された。普及しているものをそのまま使うのは学習者の負担を減らすので合理的といえよう。また、語彙のレベルを3段階に分けたのも実践的である。科学的な分類ではなく実用における頻度や難しさのレベル分けである。すなわち機能語のような頻繁に使われるレベル1、日常語のレベル2、学術用語などのレベル3である。尚、これはそもそも書き文字として作られたが、読むためのパシラリーというのも後になって作られている。 パシグラフィーはフランスで特に流行り、ナポレオンに献呈され、芸術学校で実践され、一部で教育も行われた。その点ではこれまでの普遍言語の中では際立った存在といえる。尤も、パシグラフィーはウィルキンズを髣髴させるだけあって批判点も類似している。結局パシグラフィーの隆盛は一時的なものでしかなかった。皮肉なことにメミィユのパシグラフィーにおける分類はウィルキンズのものより粗い。それがひと時の成功を得たのは言語政策の俗化によるところが大きい。宣伝を多くしたことも理由のひとつである。また、それまでの普遍言語が主の祈りなどを翻訳していたのに対し、俗化した文を訳したことも受け皿を広げたことに繋がる。つまり哲学的な完全性や純粋性が失われ、逆に世俗性が高まり、その政策の巧さからパシグラフィーは広まったといえる。これは人工言語の普及が完全性や合理性では説明付かないことを物語っている。人にとって受け入れられやすいかということが普及に関わっている。この点を意識した人工言語総体は徐々に哲学的な性質を脱ぎ去り、社会学的な性質を負うように変化していく。
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/66.html
辞書を作るとき、いわゆる英和か英英のどちらを先に作るかという問題があります。 ですが、始めは異言語で定義したほうが良いと思います。まだ出来上がっていない人工言語をその人工言語で定義するのは極めて困難ですから。 辞書は大抵言語を作りながら作ります。でないとまず作者も覚えきれません。なので、定義言語をその人工言語にするのは後回しにするほうが良いと思います。 ただ、定義言語を自然言語にすると、人工言語との間で意味のずれが起こります。それについてどう対処すべきでしょうか。 例えば私たちの場合、日本語か英語で辞書を書くでしょう。 そうすると、どうやって日本語や英語の影響に侵されないようにするか考える必要が出てくるわけです。 日本語なら日本人の身になって、日本語と人工言語の違いを書くのがいいと思います。 手がlasという語だとすると、日本語の「手」はときに「腕」にもなるので、語法欄を設けて「腕」は含まないなどと書く必要があります。 定義言語が英語だとhandとarmは範囲が分かれているのでこの記述は必要ありませんが。 もちろん、これだけの問題ではありません。 「手」には「助け」という意味が日本語にありますが、その意味もその言語にあるのかどうかとか、枚挙にいとまがないくらいたくさん載せる事項があります。 でも、最初からそんな完成した辞書を作ろうとしないでください。まずは単語帳のような未完成なものでいいです。 とりあえず作者が何という語を何という音や字に当てたか覚えておくためのメモ的なもので十分です。 ただ、この時点で人にばらまくと語法などについて混乱させるので止めたほうが無難です。とりあえずリマインダー程度の単語帳に留めておいてください。 それができたら徐々に語法なり名詞の指す範囲なりを補強していきます。 デッサンして下絵をして、それから色を塗って、最後に仕上げるように、1つの辞書を何度も上塗りしていきます。 なお、語源と成立年と造語者(一人で作る場合は不要)は忘れないうちに書いておくといいです。 これは後からの補強が効きづらいので。てゆうか要するに、忘れてしまうので(笑)
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/15.html
「小説やゲームやマンガに臨場感を与えるために人工言語や架空言語を作りたい。でも、言語学や語学の知識がないと作れないの?」 ――そんなことはありません!専門知識がなくても言語を作ることはできます。ここではその実例を紹介します。 『Final Fantasy X 』アルベド語 これは日本語を改造したものです。「オヤジ」は「トタギ」といいます。ア行→タ行、ヤ行→タ行、ザ行→ガ行にしているだけです。 仮名を規則的に入れ替えているだけで、最も簡単な人工言語です。 単語も文法も文字も音も全部日本語ですから短い時間で作れます。 発音も完全に日本語ですし、労力は最小限で済みます。 『Tales of Eternia 』メルニクス語 メルニクス語はメルディというキャラクターの言葉で、英語を改造したものです。 アルファベットのAからZまでの26文字に、それぞれ仮名1文字を充てています。 たとえばAは「エ」、Bは「ブ」、Yは「ヤ」、Eは「ン」、Sは「ス」。 したがって、Yes(はい)と言うときはヤンスと言います。 単語は全部英語なので、26文字の仮名対応表があれば何でも表現できます。 メルニクス語は独自の文字を持つので、アルベド語より人工言語としては精巧です。 なお、英語を基にしていますが、アルファベットを仮名に変換しているため、発音は日本語です。 『ICO』ヨルダ語 ヨルダ語という名称はゲーム中に出てきませんが、他に呼び方が思いつきませんでした。 ゲームではヨルダとクイーンの2人しか使いません。ヨルダ語も日本語が基になっています。 基本的に逆さ読みです。まず、「さよなら」をローマ字に変えて"sayonara"にします。それを逆さ読みにして"aranoyas"とします。 ただ、これで終わらないのがミソです。実際のヨルダ語は逆さにした言葉を更に短くしています。 "aranoyas"の間を削って"arn oys"と言っているようです。 どのように間を削るのかが不明である点と、そもそもヨルダ語の出番が恐ろしく少ないため、ヨルダ語は謎が多いです。 このように、日本語や英語などの慣れた言語を使って、簡単にレトルト人工言語を作れます。 ヨルダ語と似てますが、日本語の仮名を逆さ読みにするだけで人工言語を作ることもできます。 たとえば「君」は「ミキ」といった風に。「来い」は「イコ」になり、何となくヨルダ語を彷彿させます。 「デーモン」は「ンモーデ」。ンで始まる単語ができるので、ちょっとエキゾチックな感じが出せます。 『フォーチュンクエスト』の呪文 主人公の一人に魔法使いの少女ルーミィがいます。彼女が唱える呪文のいくつかは日本語の逆さ読みです。 「ヨメダヤチイゴウモテシタイタイデンロコガンサマルーダ」は敵を止めるストップの呪文です。 逆さ読みをすると意味を持った日本語になります。筆者は中1のとき、暗記してました(笑 ところで、ネタ元が日本語だとすぐにバレて面白くないというのであれば、ちょっとスパイスを効かせましょう。 メルニクス語と同じやり方でドイツ語のアルファベットに仮名を当てはめれば、ドイツ語を基にした人工言語が作れます。 辞書で単語や例文を引いてアルファベットに仮名を当てはめればいいので、ネタ元はフィンランド語でもノルウェー語でもOKです。 これらの言葉を知っている人はとても少ないので、すぐにネタ元が割れないという長所があります。 さぁどうでしょう。言語学を知らなくても人工言語は手軽に作ることができます。要はアイディア次第です。 しかし、ここでこんな批判が聞こえてきそうです。 「結局はどこかの言葉を使って暗号を作っているだけじゃないか。私の小説は異世界ファンタジーなんだ。 日本語が存在しない世界なのに日本語を元にした言語があるのはご都合主義で、それでは世界観が台無しだ」 なるほど、一理ありますね。いま紹介したレトルト人工言語は単語・音・文法・文字、これら全部が借り物です。 オリジナリティに欠けるというのは否めません。ではこの中で借り物を止めるとしたらどれでしょう。 一番簡単なのは文字です。メルニクス語がそうですが、独自の文字を作りましょう。 それだけで雰囲気はかなり出ますよ。この時点で人に見られても判読されなくなりますから、いかにも異世界の言葉です。 文字だけでは不十分ですか?そうしたら単語を適当にでっちあげてみましょう。 「ありがとう」とか「さよなら」とか、そういったよく使う言葉だけオリジナルで作ってしまうのです。 ヨルダ語も「ありがとう」はどうにも逆さ読みができず、「ノノモリ」と聞こえます。これ、もしかしたらオリジナルかもしれません。 よく使う単語は小説内で何度も出てきます。しかもそれが独自の文字で書かれたら、それだけで結構雰囲気が出ます。 一方、音と文法は言語学の知識がないと厳しいです。 特に音に関しては知識だけでなく発音の訓練も必要になってきます。 音も文法もオリジナルにしたいというのであれば、流石に言語学の知識が必要になってきます。 でも、始めはそこまでしなくても良いじゃないですか。言語を創るのは想像以上に難しい作業です。幅広い知識も必要になります。 まずはいくつかレトルト言語を作ってみましょう。 それで不満足を抱くようであれば、人工言語の更なる深遠を覗いてみればいいのです。 そのときは言語学や語学の知識も多少必要になってくるでしょう。また、エスペラントという伝統的な人工言語にも出会うでしょう。 オリジナリティを求め続けると、どこまで行くのでしょうか。 まず、単語・音・文法・文字のすべてがオリジナルというところに行き着きます。 そして最終的にはその世界の風土や文化までオリジナルで作ることになります。 ただ、それはすぐにできるものではないので、まずはレトルト人工言語を作ってみましょう。 そこで何か物足りないなと思えば徐々にステップアップしていけばいいのです。 自分の創りあげる世界にどの純度のオリジナリティを持たせるかは、作者である貴方次第です。 レトルトではダメとか、そういうことではありません。作者がどのレベルで納得できるかです。 .
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/65.html
表意文字を作ったことがありますが、大変でした。 基本字で2000字強作りましたが、覚えるのも作るのも面倒でした。 フォント作りが難しいのも欠点です。2000字もフォントを作ったら、それだけで何ヶ月もかかると思います。 学習においても漢字と同じで時間が取られます。それに、辞書作るときもどの字から載せていいか迷います。 ところで、言語には「読み・書き・喋り・聞き」という4つの技能があります。 以下では、これら4つの観点で、表意文字と表音文字を比べてみましょう。 まず読み。 アルファベットより漢字のほうが難しいです。文字数が多いので。 つまり、表意のほうが表音より読みづらいです。 ただ、一度覚えてしまえば文書を速読しやすいという利点があります。 次に書き。 皆さんも子どのもの頃は漢字の書き取りで苦労したと思います。 表意文字は書きが難しいですよね。表音文字だと、スペルと音が一致している限り、とても簡単です。 次に喋りと聞きですが、これは表意文字はアドバンテージを失います。 表意は、特に象形がそうですが、字自体に意味があるので、 目で見て意味を判断できます。とっさに目に入ってきても分かる。その表意性が利点です。 が、喋りと聞きの場合はこの利点を失います。表意文字も音声になれば表音でしかなくなるからです。これは大きなディスアドバンテージです。 私の場合、たまに自分で作った文字を忘れるわけです。でも会話はできてしまう。 また、メモを表意文字で書こうと思ったとき、字を忘れたら音で書いておくしかないわけです。実際こういうことが何度もありました。 でもその音で書いたメモが、きちんと後から理解できるわけです。別に表意文字じゃなくても理解できたのです。 そんなこんなで、いつの間にか「表音文字で伝わるんなら、表意文字いらなくない?」と思うようになりました。 次にPCへの打ち込みやすさ。これはもう表意の勝ちでしょう。 林檎と手で書くのは難しいし面倒ですが、appleは早くて楽です。ところがPCになると「ringo」で変換すればいいので楽です。 漢字はタイプライターやファミコン時代には使いづらかったですが、現在ではかえってアドバンテージがあると思います。 さて、ここまで見て表意と表音のどちらかいいでしょうか。 私は表音だと思いますが、表意にも文字の神秘性や面白さがあり、捨てがたいですよね。 なので、あえて「表意でGO」というのもアリだと思います。 ただ、新しい人工言語や未開の言語を見つけてフィールドワークするときに、学者が自分で表意文字を作るより表音文字を作ることが圧倒的に多かったことからも、表音のほうが手っ取り早くて便利とはいえるでしょう。
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/99.html
A 普及型 社交的で明るいあなたは普及型。 言語作りを通して友達ができていくことでしょう。 めざせ、第二のエスペラント! B 演出型 感情豊かで雰囲気のあるあなたは演出型。 独特な世界観は自然と周りの人を引きつけるでしょう。 言語作りと同時に文化や小説なども作ってみては? C 計算型 理系で知的なあなたは計算型。 実用的なものに価値を見いだすことがあります。 プログラム言語を使ってアプリケーションを作ったりするのに向いています。 D 研究型 好奇心旺盛で考えの深いあなたは研究型。 現実には存在しないような言語でも、知的好奇心から探求しようという気概があります。 損得や実用性を度外視してでも面白いものに惹かれる姿勢は、前例のない作品を創造するでしょう。 E 暗号型 ひかえめで思慮深いあなたは暗号型。 晴耕雨読を好む実直なあなたは、単調な作業の多い人工言語作りにとても向いています。 人の評価よりも、自分にとって納得できるかがモチベーションになります。
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/105.html
演出型のあゆみ 17世紀ごろはヨーロッパが世界の中心で、飛行機もネットもできない時代だったため、演出型といえば遠く離れた国の人の言語をイメージしたものでした。 物書きは行商人などから話を聞き、ときには誇張を交えて異邦人の言葉を書きました。元は架空の言語ではなく、ジャーナルとして出版されていたわけです。 それが徐々に物語性を帯びるようになり、架空の言語として独立することになります。また、舞台も月になるなど、地球を越えることもありました。 17世紀ごろは未発見のオーストラリアが舞台となることもありましたが、地球の隅々まで到達できるようになれば、もはや地球は物語の舞台としてふさわしくなくなります。 交通網や通信技術の発展に伴って世界が狭くなるにつれ、演出型の舞台は宇宙や異世界へと広がっていきました。 19世紀にできた『不思議の国のアリス』は異世界が舞台になっています。人工言語は登場しませんが。 人工言語が登場する異世界物で有名なのは、トールキンの『指輪物語』です。映画『ロードオブザリング』でおなじみですね。 指輪物語にはエルフ語が登場します。これは古ケルト語を元にしたアポステリオリ言語です。 演出型はもともと遠く離れた国のジャーナルを変形していったところに始まり、異邦人の言葉として作られました。やがて未発見の土地がなくなると、今度は舞台が宇宙や異世界になっていきました。 あくまで娯楽性の高い言語ですから共通語を作ろうというような崇高な目的もなく、それゆえ17世紀の人工言語ブームのときも軽く扱われました。この傾向は20世紀まで続きます。 普及型はフランス語や英語が共通語になるたび下火になり、共通語がなくなるたびブームになるというサイクルを持ちます。 一方、演出型は現実社会の趨勢から影響をあまり受けないという特徴があります。 娯楽なので平和な時代に作られがちなイメージがありますが、上記の指輪物語は第二次世界大戦中に書かれています。